第2部ウォンの章 第1話

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宇宙世紀0082 7月

シムーン達の脱走未遂事件が起こって3ヶ月後の事である。

彼女らの人格調整及び肉体強化調整の為、ろくなテストも出来ず、現在

はいたって暇な時間を過ごしている。

おそらく連邦初の人工ニュータイプを作ろうと言うのである、

準備も調整も五里露中での作業になる。

ここしばらくイリアは調整室に入り浸りでろくに顔を合せていない。

そう思っている矢先に、イリアが事務室に書類の束を抱えて入って来た。

「やぁ、イ…、」

「ガブリエル少尉、シムーン宛に請求書が軍に届いているようです。」

イリアがウォンに会うなり、口を開いた。まだ話しは終わっている様子

では無さそうである、

この女、話を途中で切られるのが嫌いらしく、口を開こうとすると微か

に眉が動いた気がした…。

 

「請求書は2枚ありまして、一つは弁護士からです。

彼女はどうも高額の借金を抱えていた模様ですね。理由をこちらで調べ

た所、彼女の父親が経営していた工場の運営資金の様です。」

イリアが関連資料と共に請求書をウォンに差し出した。

シムーンが他のウェーブの様に着飾ったり、散財しなかった訳が良く解

った…。

金額を見ると、個人で持つ借金としては高額である。

売春が政府の管理する一つの正式な職業となった今、若い女がこの借金

を返すには軍隊に入るくらいだろう。

もっともそれも才能と素質があって始めて可能な事ではあるが…。

しかし、この研究所の研究予算からすればたいした事はない…。

だが、それは前職の輩と同じ事をする事になる。

 

ウォンが一通り目を通した途端にイリアが再び、口を開いた。

「もう一つはグラナダの私立学園からの請求書です。

彼女の弟の学費が未納になっているとの事です。」

今度は、紙切れ一枚の請求書をウォンに差し出した。

こちらの方こそさしたる額ではない、だが今後も継続しての請求となる

事だろう。

シムーンは例に事件以来、負傷して入院中と言う事に公式にはなっている。

だが原隊に復帰した時の彼女が元のままであるかは、おそらくイリアでも

判らないのだろう…。

その件に付いては今後も調整が常に必要になると以前言っていた覚えがある。

 

フローラに付いては元捕虜と言う事もあって、仮想の軍籍になっている。

(おそらく偽造であるが…。)

ロザミアに付いては現在、こういったたぐいの話は出ていない。

イリアの強硬な弁に負けて性急に事を進めすぎたのかもしれないとの考え

が脳裏をよぎった…。

 

「いかが、なさいましょう? 少尉。」

今度は少し間を置いて、イリアが口を開いた…。

ウォンはしばらくして口を開いた。

「医師にシムーンの死亡証明を用意させておけ」

イリアが何か言おうとするが、それにかまわずウォンは言葉を続ける。

彼も口を挟まれるのは嫌いらしい。

「病状の経過の改竄、それに新たな軍籍、つまりシムーンという個人は

消え、我々の自由になる人形が手元に残る、君とて本当の意味で自由

に研究出来る対象を、他の者に邪魔されない存在として手元に置いて

置きたいだろう」

「そのために彼女とつながりのある、あらゆる関係を切り離す、この請求

もそのための費用の一部と思えばいい。

フローラやロザミアは、ここでの成果のディスプレイ用としておけば

よいし、本格的なデータをとる貴重な被検体として常にシムーンは

我々の手の中にいるような状況が好ましいであろう」

「……イリア、君はここで自由に研究開発に携わっているが、それで満足

できる女じゃあないだろう。君は自分の成果を自分の目で確認する。

そうでなければ納得しないだろう。

そして、こんなことは、まだ手始めだということにもね」

そこでウォンは、やっと言葉を切る。

 

沈黙が事務室を満たす。

「イリア、我々の手で地球を動かしてみないか?」

唐突なウォン言葉が沈黙を破る。

 

冗談にしては下手すぎる。

ウォンはおもむろに、懐から板チョコレートを取り出し、それを二つに

割る。そしてその一方をイリアに差し出す。

子供じみたその動作とは裏腹に、その視線が鋭い。

一瞬の動揺が彼女の目に現れたのは事実だった。

しかし、軽い微笑みを見せたあと彼女の口を開いた。

「新手の口説き文句ですか? その話もチョコレートもかなり魅力的なプ

レゼントですわね。でも私、今はダイエット中ですの。

所長代理もお気を付け下さい、ここの女性達はみんな言いますのよ、

『新しい所長代理の仕事ぶりは目の毒だ』って。

私の側に居る時ももう少し控えて下さるといいんですけど…。」

そう言って一息つくと。

「お話はそれだけですの?、では調整の続きがありますので失礼します。」

一礼して彼女は背を向けた。

イリアが退去する時、その背中をウォンは呼び止めた。

「あぁ、それと彼女の弟の学費は私が面倒を見よう。

それと……シムーンをどう扱おうが君の自由だが、壊すなよ」

その言葉の中の微妙な部分を、イリアの女の部分が引っ掛かった。

 

「…、承知いたしました…。それと私からもう一つ、こんど口説かれる時は

もう少し大きな花束を用意してくださいましね。」

イリアはドアの向こうに消えていった…。

 

「弟か……」

『弟がいるんだ、たった一人の肉親だがね』

「血を分けた兄弟か」

自らの呟きが、腹立たしく思う。

なぜ、あんなことを言ったのか?

シムーンに対する引け目か?

ウォンは執務を再開した。

彼にとって、これから為すべきことは膨大であるからだ。


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